阪急曽根駅のある場所は豊中台地の南端にあたり、高
燥の地で住宅地に適していた。宝塚線が開通して2年
後の明治45年に駅ができたが、当時の駅周辺は綿畑や
茶畑が広がり、松林が点在する田園地帯であった。大
正時代に大阪の富豪・志方勢七が駅の東側、現在のダ
イエーあたりに別邸「衆楽園」を構えた後、大正末期
から昭和にかけて周辺には高級住宅が相次いで建ちだ
した。いずれも広い庭に石垣を巡らした邸宅で、「西
の芦屋、東の曽根」と並び称されたそうだ。(出典:
「阪急電車 駅めぐり 宝塚線の巻」昭和55年2月1日)


当家は昭和15年に和歌山の材木商によって建てられ、
昭和30年代初めまでは高島屋常務・西岡辰造の大阪邸
として使われていました。その後、義弟でドイツ文学
者の田中健二(大阪大学文学部教授)が譲り受け、現
在はその孫家族が住んでいます。平成30年の大阪北部
地震を機に耐震工事を施し、同時に音楽サロンとして
再生しました。庭の松は宅地開発前からのものです。



〒561-0802 大阪府豊中市曽根東町1丁目5番13号


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